INTERVIEW & NEWS

宮崎県新富町で醤油、味噌、酢を生産から販売まで手がけるのが、やまじょう徳山みそ・しょうゆ醸造場。

100年以上受け継がれる味は、地元の方なら知らない人はいないほど。3代目の父と共に、その味を残していこうと奮闘するのが徳山貴俊さんである。

酒造メーカーでの経験を経て、家業を継ぐことを決意した徳山さん。新富町商工会青年部や宮崎県味噌醤油組合にも所属し、町の中でも精力的に活動をしている貴俊さんに、醸造の楽しさや新富町の良さ、今後の展望について伺った。

「徳山さんが作るものは美味しい」と言われ続けるように

—徳山さんの醸造場では、どのような製品を作っているのですか?

徳山:醤油5種、味噌3種、お酢を1種、製造から販売まで行っています。原料は、宮崎県味噌醤油組合から仕入れており、販売は昔からのお得意様など独自の販売ルートで児湯郡を中心にお届けしています。

—醸造には昔から興味があったのですか?

徳山:興味があったというよりは、小さい頃から手伝っていたので自然とその道に進むことを考えるようになったというところですね。

父にも息子に跡を継いでもらいたいという想いがあったようで、私は東京農業大学で醸造について学んだ後、宮崎の酒造メーカーに就職しました。

平成28年には本格的に家業を継ぐために戻り、技術と知識を磨く日々です。

—家業を継ごうとしたきっかけはあるのですか?

徳山:やはり、地元の方々の声ですね。

「徳山さんの醤油・味噌は美味しいよね」

これからもそういっていただけるよう、この味を守りたいと想いが強くなりました。今、この仕事を続けているのも、そのような周りの方の声があるからだと思います。

お客様から求められている製品を作っているということが、モチベーションにもつながっています。

固定概念を作らないための交流

—地元の商工会青年部にも所属しているとのことですが、入部したきっかけは何ですか?

徳山:家業を継ぐと決めてから、ずっと商工会青年部に入りたいという想いがありました。ただ、どのようにすれば入部できるのか分からずにいたところ、今の部長が私に声をかけてくれたのです。

部長がたまたま弊社の取引先だったことが、誘っていただくきっかけになりました。ずっと入部したかったので、本当に嬉しかったです。

—そこまで入部したかったのは何故ですか?

徳山:地域でビジネスをする上で、地元の方との交流は欠かせないと考えているからです。
弊社がここまでやってこれたのも、地元の方々に支えられたおかげですし、困った時に助けてくれるのも地元の方々。

また、異業種間の交流ができることも大きなポイントだと考えています。同じ仕事を続けていると、どうしても考えが凝り固まってしまう傾向にあるからです。

全く関係のない業種でも、活躍される方の話や仲間の悩みなどを聞いていると、私自身が刺激になりますし、参考になることが大いにある。

地域貢献という側面ももちろんありますが、私はそのような観点から、青年部というコミュニティを活用させてもらっています。

醤油と味噌をもっと身近なものに!

—醸造業に携わる中で、感じている課題はありますか?

徳山:やはり醤油や味噌の需要が全国的に減っていることです。
共働きの家庭が増え、手の込んだ料理をしなくなったというのも原因の1つだと思いますし、醤油や味噌に代わるドレッシングや調合済みのお出汁、タレなどが普及しています。

醤油と味噌をもっと身近に感じてもらえるような仕組みづくりが今後の課題だと考えています。

—今後、どのような人に関わってもらうことで課題が解決すると思いますか?

徳山:製造に関しては現状で何も問題はないので、販売の分野に詳しい方がいてくれると心強いですね。

ブランディングではなく、日本全国へ販路を広げるためのアドバイスや、百貨店などとのパイプなど、とにかく“売る”ことに特化した方に相談したいことが山ほどあります。

—現段階で何か新しい企画をしているのですか?

徳山:やりたいことはたくさんあります。
新商品の開発なども考えているのですが、まだキャリア2年ということもあり自分の仕事をするだけで精一杯。

まずは、自分の仕事をしっかりと遂行できるようにならないことには先に進めないと考えているので、新しいことにチャレンジするためにも毎日の業務を確実にしていきたいです。

そこから全国へ弊社の味を発信していき、将来的には日本全国にファンがいるような醸造場になりたいですね。

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徳山さんにとって小さい頃から身近な存在だった醸造業。

“お袋の味”の立役者として、日本人の胃袋を満たしてきた醤油と味噌を後世に伝えるために、徳山さんの挑戦は続く。